住友金属工業は、1956年12月、総工事費494億円の和歌山高炉建設を計画しました。1957年、同社はこのうち7割に当たる5千万ドル(180億円)を世銀貸出に申請し、最終的には3300万ドル(118億8千万円)の貸出が承認されました。世銀からは、1957年11月にオルデベルト審査部長が、翌58年1月にはリップマン工業課長が来日し、また住友金属からは日向方斎常務が渡米し世銀のローゼン極東部長と具体的な交渉を行いました。1958年7月11日、住友金属工業代表平塚副社長、世銀代表ナップ副総裁、日本開発銀行代表間島達夫理事により調印が行われました。貸出条件は機関15年(据置3年)、利率5.5%/8%で9月24日に発効しました。貸出額は、一回の借入金額としては鉄鋼業界では最も大きいものとなりました。
1958年に引き続き1960年、住友金属は2回目の世銀貸出を受けました。当時日本の鋼管製造の6%を占めていた住友金属工業はこの貸出で、1回目と同じ和歌山工場に、ホットストリップミル建設他様々な設備投資を行いました。
住友金属工業はその後、和歌山工場に設置したホットストリップミルで薄板事業に参入し、新幹線の第一号試作台車を製作・納入しています。そして1964年には、同社の車両・車軸で走る東海道新幹線が開通しました。奇しくも、住友金属工業が生産した鉄板が、同じく世銀の貸出で建設された東海道新幹線(1961年5月調印)に使用されたのです。
プロジェクトデータ |
調印日:1958年7月11日 受益企業:住友金属(1次) 対象事業:和歌山工場1,000トン高炉、製鋼分塊設備 貸出額:3300万米ドル |
調印日:1960年12月20日 受益企業:住友金属(2次) 対象事業:和歌山工場コンバインドミル 貸出額:700万米ドル |