昭和30年代に入り、都市部への人口集中と都市化の進展により自動車交通は激増しました。このため東京などの大都市では、自動車と歩行者などの交通を分離すると共に、平面交差をなくした自動車専用道路の整備が始められました。大阪、神戸の両氏を中心とする阪神地区でも、日常化する交通渋滞を緩和するために、高架による自動車専用道路の建設が検討されました。
1962年、阪神高速道路公団が発足し、本格的に計画が進められました。神戸は日本第二の港を抱える商業都市であり、神戸港の貨物取り扱い量は年間3千トンに上りました。人口も年間2%の割合で増加し、自動車の台数も急増していました。神戸市高速道路1号の建設により、市内の渋滞緩和、輸送コストの減少が期待されました。また、1965年に大阪での開催が決まっていた万国博覧会に向け、道路整備は急ピッチで事業が進められました。
首都高速道路公団への貸出が調印された翌1965年、阪神高速道路公団は、神戸市高速道路1号(東灘区~須磨区、延長17キロ)の建設に対する2500万ドルの貸出の調印が1965年9月に行われました。調印に先立ち1月には世銀借款連絡委員会が発足、2月には神戸一号線の現場視察のため世銀関係者が来日しました。世銀貸出の契約は同年11月4日に発行しました。
プロジェクトデータ |
調印日:1965年9月10日 受益企業:阪神高速道路公団 対象事業:神戸市高速道路1号 貸出額:2500万米ドル |