1878年4月、川崎重工(現在のJFEスチール株式会社)の前身である川崎造船所が創業され、同社は様々な重工業分野に進出していきました。1920年代には鋼材の生産も開始し、同社は第二次大戦終了まで日本の鉄鋼産業の中心的存在でした。
第二次大戦終了後、戦後の企業再生の一環から同社は川崎重工の鉄鋼部門から独立し、初めて単独の製鉄会社として再出発することとなりました。しかしながら、生産設備の多くが被害を受けたり、老朽化してしまったことから、その生産能力は大きく落ち込み、国内市場シェアは戦前の50%から10%にまで落ち込んでしまいました。
こうした状況から脱するべく、1951年に同社初の銑鋼一貫製鉄所となる千葉製鉄所が設立されました。高炉を所有することで、鉄鉱石を原料に最終製品の鋼材の生産までを一貫して行う、高炉メーカーと呼ばれる大規模鉄鋼メーカーへと転換を実現したのです。この過程で、同社の生産設備の刷新も進みましたが、かつての市場シェアを取り戻すためには更なる設備投資が必要となりました。日本国政府にとっても、日本全体の製鉄能力を高めることが急務でした。
こうした情勢下、世界銀行は日本開発銀行を経由して1956年から1960年にかけて、3回に渡る総額3400万ドル規模の貸出を川崎製鉄に対して実行しました。これは千葉製鉄所に最新の生産設備を導入し、生産能力を増強するためのものでした。同社の資本対比で巨額な借入であったことや、生産能力の大幅な向上が、借入金を滞り無く返済するために不可欠だったことから、日本銀行も少なからず懸念を表明していましたが、この3回の貸出によって、最新の生産設備が次々に稼動し、千葉製鉄所の粗鋼の生産能力は1956年当時の43万トン規模から1960年には158万トン規模まで大幅に拡大したのです。
この結果、同社は、世界銀行への借入金返済はもちろんのこと、自力で更なる設備増強も行い、国内での市場シェアの拡大と海外への製品輸出も開始することができました。三回にも及んだ同社への世界銀行の貸出は、同社の発展だけでなく、奇跡的な経済復興を成し遂げた、日本の経済発展の原動力となったのです。
プロジェクトデータ |
調印日:1956年12月19日 受益企業:川崎製鉄(1次) 対象事業:ストリップミルプロジェクト(千葉工場ホット及びコールドストリップミルプロジェクト) 貸出額:2000万米ドル |
調印日:1958年1月29日 受益企業:川崎製鉄(2次) 対象事業:高炉プロジェクト(千葉工場1,000トン高炉及びコークス炉) 貸出額:800万米ドル |
調印日:1960年12月20日 受益企業:川崎製鉄(3次) 対象事業:千葉工場厚板工場新設 貸出額:600万米ドル |