1960年9月、世銀・IMF総会出席のためワシントンDCを訪れた水田大蔵大臣は、日本の経済成長のためにはさらに公共部門への外資導入、特に世銀の資金が道路や電力、鉄鋼などに必要であることを訴え、世銀側も貸出に応じることになりました。ただ、この頃日本の経済は順調に発展しており、世銀内では、開発途上国からの資金需要が多い中、日本への貸出について疑問視する声も出始めていました。1961年に来日した世界銀行のローゼン極東部長も、日本は今後、民間貸出へ移行するよう促したと言われています。
それでも世銀貸出への希望は引き続き強く、1961年10月~11月に行われた交渉の結果、1961年11月、日本道路公団に対して1960年3月の第一次貸出に引き続き、第一次と同額の4000万ドルの貸出が調印されました。この時点での名神高速道路の建設費の見込み額は1148億円(最終的には1164億円)でしたから、世銀からの貸出8000万ドル(288億円)はその内の約4分の1にのぼりました。第二次貸出は、名神高速道路の一宮-栗東間および尼崎-西宮間が対象で、これにより、第一次貸出で建設された尼崎-栗東間45マイル(72.42キロ)が延長され、西宮から一宮まで全工程115マイル(185.1キロ)がつながりました。
プロジェクトデータ |
調印日:1961年11月29日 受益企業:日本道路公団(2次) 対象事業:一宮―栗東,尼崎―西宮間高速道路 貸出額:4000万米ドル |