イギリスで空間情報技術を研究 3歳から父親の仕事でイギリスに住み、小学校3年生の時日本に帰国しました。大学院では西洋的価値観から外れたことを勉強したくて、また、未来を考えるには過去を知らなくてはいけないという考えのもと、日本の大学で中国考古学の修士号を取得しました。ところが、その頃はちょうど電子メールが普及し始めるなど世の中がデジタル化し始めた時期で、地理情報システム(GIS)と出会ったことをきっかけに、当時、アカデミックな研究ではまだ紙ベースの地図などが使われていたことに疑問を感じました。もともと地図が大好きだったこともあり、GISをはじめとした空間情報技術を勉強して仕事に活かしたいと思い、専門分野を変えました。
大学から運よく奨学金を頂けたこと、また幼少期の楽しい記憶があったイギリスに戻ってみたいという強い気持ちもあり、ケンブリッジ大学でリモートセンシングの修士号を取得すべく、1998年に再渡英しました。この留学から始まるイギリスでの約15年間は、イギリス人の生き方からいろいろな意味で学ぶことが多く、その後の人生にとても大きな影響がありました。幼少期にイギリスで取得した英語を維持できていたため、日常会話には不自由はなかったものの、大学院で求められる英語力はやはりレベルが高く、並行して新しい学問を吸収していくのは大変でしたが、イギリス生活はとても楽しいものでした。
地震による被害調査を研究して 修士号取得後は、そのまま地元のコンサルティング会社に就職しました。同じ大学内の建築学科の教授や研究者スタッフが1987年に設立した都市の持続可能な発展と強靭化全般(Built environment)を専門とするコンサルティング会社で、研究内容を商品化し、コンサルティングサービスとして提供していました。最初にかかわったプロジェクトは、ヨーロッパの鉄道会社がクライアントで、高速鉄道の計画準備のため、イタリア、オーストリアとドイツをつなぐアルプス地域で第二次世界大戦時から残っている不発弾を私が担当した画像解析技術はじめ、様々な歴史的データを使って判別するという、会社としても異色なものでした。第二次大戦時代の不発弾を米軍の当時の航空写真と詳細な記録をもとに特定し、データベースを作りました。
この会社で、地震工学で世界的にも有名なロビン・スペンス教授に出会ったのが、自然災害の世界に入っていくきっかけでした。地震リスクが低いイギリスですが、地震工学が発達していて、著名な専門家も多く活躍しています。2000年頃、既存のものよりも格段に解像度が高い光学衛星画像が商用化されると、「これを使えば現地に行かなくても地震で倒壊した建物などの被害状況を見ることができるかもしれない。これを被害調査に役立てられないか」と考えたスペンス教授の発案による共同研究が始まりました。
それからは世界中で大きな地震があるたびに被災地を空と地上から被害調査を行い研究を続けました。2000年代は、スマトラ島沖地震(2004年)や四川大地震(2008年)など、大きな災害がいくつもありました。その間にケンブリッジ大学でリモートセンシングの博士号も取得しました。
途上国開発の世界へ 2011年のハイチ地震ではイギリスの地震工学緊急災害調査チームメンバーとして現地を視察 2010年にはハイチで大きな地震があったのですが、ハイチは建造物が脆弱で、甚大な被害をうけました。その被害が面的にかなりの広い範囲に及んだため、世界銀行が衛星や航空画像、スマホによる情報収集やクラウド(ボランティア)を使ったオープンなオンライン地図の作成など、最新のデジタル技術を組み合わせた被害状況の解析に取り組むプロジェクトを試験的に立ち上げ、私を含む多くの専門家が参加しました。
災害が起きると、復興支援計画を立てるため、建物の被害状況など経済的被害をまず把握する必要があります。状況によっては被害額も膨大になり、世界銀行を含む国際機関の支援が必要になってくるからです。従来は現地に専門家が行き、被災国の政府の持っているデータと現場の被害報告結果を合わせて情報を精査し経済評価を行っていましたが、この方法では報告書の作成に数カ月かかることも多く、より迅速に被害報告を作成することが求められていました。同時期、世界銀行では、積極的に活動全般に最先端技術を取り入れてデジタル化を推し進めようとしていました。
私はイギリスで衛星画像を解析するという方法で迅速な被害状況の把握に取り組んでいましたが、このような時期に巡り合わせたのは幸運でした。ハイチのプロジェクトの一環で開催されたワークショップで発表したことをきっかけに、2010年世界銀行のコンサルタントとしてお仕事をいただくようになりました。また、それまで世界銀行のことをよく知らなかったのですが、私がやってきた研究を生かすことができる、さらに開発に活かされる仕事であることから、新たな挑戦として2012年イギリスからワシントンDCに移住してみることにしました。
日本がリードする国際的な防災への取り組み ここで少し、世界銀行も含めた国際的な防災への取り組みについてご紹介します。2025年は阪神・淡路大震災から30年になりますが、2005年に初の国際的な防災の基本方針として兵庫防災枠組が10年間の実施期間を設けて策定されました。それまでは、災害が起きた後の緊急対応に国際的な支援が集中していましたが、兵庫枠組は、災害が起きる前にリスクを減らしていく防災、減災に目を向けようという取組みでした。この流れを受けて世界銀行でも、災害リスクの高い世界銀行加盟国で、防災、減災を主流化させる案件や取組みを技術的に支援するための信託基金「防災グローバル・ファシリティ(GFDRR)」が立ち上がりました。さらに2011年の東日本大震災を受けて、防災・減災をさらに推進するため、2015年、兵庫防災枠組の後継として仙台防災枠組が策定されました。こうした枠組はどちらも日本のリーダーシップで策定されたもので、各国の財務省にも呼びかけ、防災、減災における達成すべき目標を打ち出しました。減災の仙台防災枠組は2030年を達成目標としていて、今後残り数年間でさらに世界中でその目標達成に向けての努力がされていく予定です。
自然災害の減災を支援する取り組み 世界銀行入行後は、GFDRRの中で、エビデンスをもとにした防災への取り組みのさらなる推進や、防災におけるDX、技術革新に取り組むGFDRR Labsチームの一員として、ハッカソンを開催し、各国で開発案件を実施しているチームと協力しました。また災害後の被害調査が行われるときには世銀チームの一員として現場に出向き、データを集めたり集積、分析、レポートを書いたりという作業に従事しました。2013年からは 日本政府による世界銀行ミッドキャリアプログラムにより正規職員として採用していただきました。
2023年、ラオスにて洪水防止のための工事を視察 これらは最先端技術を応用しようとする試みですが、世界銀行では、ドナーからの融資をもとに、プロジェクトの設計から承認、実行、終了、評価までの一連のプロセスを一度すべて経験し、世界銀行の本質を理解することが大切とのアドバイスを頂いたこともあり、次第にそうした融資案件にもかかわり始めました。世界銀行では数年ごとにローテーションがあります。2018年にGFDRRから東アジア・太平洋地域に異動して、本格的に融資案件のマネジメントを主な業務としていき、融資プロジェクトを最初から最後まで担当、経験していくことになりました。内容としては、国が経済成長を遂げても、1件の災害の被害だけでその成長が台無しになってしまうため、被害を最小限に抑える「減災」に向けた対策について、優先すべき課題を対象国と相談しながら内容を決め、プロジェクトとして実行していく業務でした。トンガやフィジーなどの南太平洋地域の担当、チームリーダーとしてプロジェクトの設計から実行までの経験を積んだのち、東南アジア特にラオスとカンボジアを担当しました。
世界銀行での業務は、専門知識を実際の現場やプロジェクトに応用していく仕事ですが、入行前に画像解析の研究をしていたことで、自分の専門分野を一つ持っていて良かったと思っています。まず自分の専門があることで、応用の世界でも深みのある仕事ができますし、プロジェクトにも入っていきやすいことが多いです。イギリスでは、地震工学の観点から減災に携わっていたため保険会社と仕事することもありましたが、世界銀行でも近い仕事があり、最新技術の応用でも、地震以外の自然災害でも、既に地ならしができていたことは役立ちました。
防災を軸に日本と世界銀行を橋渡し
世界銀行にて 2023年に拠点を東京に移し、東京防災ハブに携わることになりました。
世界銀行では2014年、日本政府(財務省)からの信託基金を受けて、日本・世界銀行防災共同プログラムが始まりました。世界銀行のプロジェクトは、エネルギー、水、保健、教育など多岐にわたり、例えば途上国支援として道路や橋を作ったりしますが、そこに防災の考え方を取り入れると、洪水でなるべく壊れない道路にするとか、ハザードマップのような洪水予測を元に道路を作る場所を検討する、また、それを可能とするガバナンス、組織体制を作るということになります。東京防災ハブでは、こうした取組みに、日本の知見や防災レジリエンス(災害などのリスクに備え、被害を最小限に抑え、被災後の復旧・復興を迅速に行う能力や知識)の考え方を共有、取り入れていくためのお手伝いをさせていただいています。
私の仕事は、日本の防災に関連する省庁の方々や研究者などにお会いして日本の防災について学びながら、世界銀行のプロジェクトからの需要にマッチングさせることです。具体的には、日本の専門家に世界銀行のプロジェクトで役立つ知見をレポートやガイダンスノートなどの形でまとめてもらう、また世界銀行のプロジェクトに直接参加してもらう、ワークショップなど日本の経験、知見を共有してもらう機会を作るなどですね。一回きりではなく、世界銀行で需要の高い、多くのプロジェクトで使ってもらえる内容を判別して焦点を当てていくようにこころがけています。
防災は、世界から「防災といえば日本」という目で見られています。これまでの国際的な防災枠組には日本の都市名がついているように、すべて日本で開かれた会議で策定されており、日本のリーダーシップが発揮されてきています。他方で、世界銀行のプロジェクトは途上国からのニーズがあって動くものであり、世界銀行と日本を繋ぐためには、世界銀行内の状況と日本の動きの両方を理解している必要があります。
チャレンジをいかにチャンスに変えていけるか 途上国との防災プロジェクトでは、対象国の人が熱意を持って取り組んでいるのを感じることが多いです。相手が本気だと話も進みますし、自分も俄然がんばろうとおもいます。そういう人に出会えた時は楽しいですし、その国に役に立っていると思える時も嬉しいです。同じ内容のプロジェクトはなく、常に学びの連続です。人生は、チャレンジをいかにチャンスに変えていくか。そういう考え方でやっていきたいと思っています。
日本にたくさん蓄積されてきた素晴らしい防災の知見をどうやって世界に橋渡していけるか、日々このチャレンジに取り組んでいます。そこで大事だと感じているのは、まずは日本の皆様に世界銀行の業務をもっと知っていただく機会を作っていくことだと思っています。また、信頼していただけるように努力しなければなりません。それが東京ハブにおける業務の醍醐味だと感じています。
世界銀行をもっと知ってほしい
姫路市で防災グローバルフォーラムでのグループ写真 今の仕事を始めてまだ日が浅く、次の仕事を考えるよりもまずは現在の仕事を充実させていきたいと思っています。いろいろとやることも見つかってきているので、これからが楽しみです。
2024年6月には、姫路市で防災グローバルフォーラムを開催し、海外からの方を含め約1,700人の方にご参加いただきました。日本の方に世界銀行を知っていただくひとつの機会とすることができたのではないかとおもっています。このような機会を今後も作っていきたいと思っています。
時には日本的価値観は忘れよう 世界銀行に入行して以来、地震だけでなく、洪水、土砂崩れや台風や津波など、あらゆる災害分野を勉強してきました。世界銀行では知らない分野のプロジェクトに突然投入されることはあり、臨機応変に対応できる人は向いていると思います。しかし、世界銀行で専門性を取得するためのトレーニングは基本的にないので、最初に専門性を身につけてから、第二のキャリアとして世界銀行に進むのが良いように思います。さらに、数多い出張を厭わない、楽しめる人には向いているのではないかと思います。
世界銀行では英語ネイティブと同じ土俵で評価されるため、それを念頭に置いて英語でコミュニケーションできること、また、英語で報告書を作成することは必須です。
他方で、国際機関にいると、日本的な考え方が理解されない時があるので、時には日本的価値観を忘れることも必要です。例えば、他の国の人たちは英語が完璧でなくても積極的に発言します。考えはあるのに、コミュニケーションが取れずに伝わらないのはもったいないです。アジア人は完璧主義なところがありますが、文法の完璧さよりも、話す中身、内容があることもとても大切なので、時には完璧でなくても発言していくようにしています。日本では良いとされないかもしれませんが、国際機関では遠慮しないことも大事だと思います。