2011年12月15日 東京―かつて世界銀行の借入国だった日本が、今では世界銀行の主要な出資国となり、途上国支援のための開発パートナーへと発展を遂げたことは大変喜ばしいことです。2011年は、世界銀行が日本で初めて世銀債を発行してから40周年の記念すべき年です。さらに2012年、東京でIMF・世銀総会の開催が予定されています。
2011年は、世界銀行が初めて日本で世銀債を発行してから40周年になります。1971年6月に発行された世銀債は初の本格的な公募型のサムライ債となり、金額も110億円と当時としては大型の起債となりました。この世銀債は日本と世界銀行の関係において、重要な転換点を象徴するものとなりました。
日本が世界銀行に加盟したのは1952年でした。以降、1950年代から1960年代にかけて日本は第二次大戦後の復興を驚くべきスピードで実現します。世界銀行はこの間、数々の貸出を日本国政府に対して実行し、その資金は日本の経済復興を支えた数々のプロジェクトに活用されたのです。最終的には31件、総額8億5千万ドルもの貸出が行われました。まず50年代には火力発電向けの案件に充当され、エネルギーが確保された段階で、製鉄・造船・自動車、といった重工業分野への貸出にシフトしていきました。生産の急速な拡大により、エネルギー供給力の増強が必要となり、水力発電を中心に第二次電力産業向け貸出が実行されました。生産の更なる拡大により、今度は物流のためのインフラが未整備だったことによる不良在庫の増加が見られるようになりました。これを受けて、後半の世界銀行の貸出は物流インフラ向けのプロジェクトに充当されました。日本初の高速道路となった名神高速道路や東名高速、そして東海道新幹線にも世界銀行の貸出資金が活用されました。
世界銀行から日本への最後の貸出契約は1966年に締結されました。そのわずか5年後の1971年には日本は、世界銀行から資金を借りる側から、世界銀行に資金を貸し出す側に転身を遂げたのです。日本の資本市場は、飛躍的な発展を遂げ、今や世界銀行にとって最も重要な資金調達市場の一つとなっています。これまでの40年間に、総額1,500億ドルにも達する巨額の世銀債が日本の機関投資家ならびに個人投資家に販売されました。
世界銀行について
世界銀行(通称 IBRD:International Bank for Reconstruction and Development) は、1944年に設立が合意された国際開発金融機関で、現在188の加盟国が出資し運営しています。IBRDは加盟国への貸出・保証に加え、リスク管理サービスおよび分析・助言サービスも提供し、加盟国の公平で持続可能な経済成長と環境保全を両立しつつ、世界の貧困を削減することを目指しています。最終的な目標は、貧困を撲滅し世界中の人々の生活水準を改善することです。貸出資金を調達する(借入れる)ために、世界銀行は60年以上にわたり国際資本市場で債券を発行しています。詳しくは世界銀行財務局のウェブサイトをご覧ください。