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特集2024年10月29日

中澤絹子(なかざわ きぬこ)世界銀行 人事総局(人材・文化・人事業務) 報酬担当 人事専門官~第65回 世銀スタッフの横顔インタビュー

キャリアの壁にぶつかっても、夢だった仕事についていなくても、常に試行錯誤と努力を続ける。自分に与えられたものが100%自分のやりたいことではなくても、それを受け入れ次につなげていく。そうやって自分に挑戦し続ける間に、なりたい自分に近づいて、描いた夢を掴んでいく。控えめでありながら、しなやかな強さを秘めつつ、人生を楽しむことを忘れない中澤さんのアプローチに、勇気づけられる人も多いのではないだろうか。

Kinuko Nakazawa
Kinuko Nakazawa

高校1年生の時にカナダへ留学。トロント大学政治学部を卒業後、日本に帰国し、日系および外資系の民間企業での勤務を経験。オランダのライデン大学で行政学修士号を取得したのち、2018年にジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)として世界銀行に入行。現在は、報酬担当 人事専門官として、世界銀行グループ全体の報酬制度、政策およびガバナンス、ならびに人件費の予算設定等を担当している。

娘には英語を話せるようになってほしい

工学博士の父と、俳優で作家の母のもとに札幌で生まれました。妹と4人家族でのんびりとした幼少期を過ごしましたね。小学校からは父の仕事で東京に引っ越しました。両親ともに日本人で英語とはまったく関係のない人生でしたが、父が30代半ばでアメリカの大学院に留学した経験から、「英語は必須、娘達には英語が話せるようになってほしい」と思っていたため、高校一年生の時にカナダの高校に留学しました。最初はまったく英語は話せませんでしたが、行ってみたらすぐに友達もできてホームステイ生活も楽しかったので、1年で帰国せずにそのままカナダの高校を卒業し、トロント大学に進んで政治学を学びました。大学では学生寮に入りました。寮はまさに人種のるつぼ、一気に世界が広がりました。

自分のキャリアが思い描けなかった

旅行好きな両親のおかげで、小学生の頃からアジア、ヨーロッパ、そしてアメリカに行く機会がありました。幼いころから違う言語や他国の文化に触れる中で、漠然と世界の広さに興味を持ち、大人になったら世界中の様々な文化に触れることができる国際的な仕事をしたいと思うようになりました。また私自身、幼いころから様々なところに一人でも行ける怖いもの知らずな性格だったため、両親はカナダの高校への留学もすんなりと送り出してくれたのだと思います。

とはいっても10代、20代は具体的に職業として自分は何をしたいか、何ができるのかを探してばかりで、キャリア面で色々と迷いました。トロント大学卒業後は日本の重機械メーカーに就職し、人事担当になりました。工場に出向くことや、深夜まで続く労使交渉に出席することもありました。また、国内外の留学生を対象とした採用を任されましたが、これは人事部の中で英語を話せるのが私だけだったためかもしれません。今にして思えば日本企業の組織や労使関係を知る上で貴重な経験となりました。

数年たって、ネットフリックスの本社で働くカナダの高校時代の友人に声をかけてもらい、ネットフリックス社に転職しました。子供の頃から映画やテレビ番組の現場や制作については見聞きして多少土地勘があったことを友人が覚えていてくれたようです。また、日系企業で働き続けることに苦痛と違和感を感じていたことも事実でした。

同社では、日本事業の立ち上げに参加しました。仕事はとてもやりがいがあったのですが、このままキャリアを積んでいきたいのか悩みました。その結果、人生は一回きり、どうせなら国連や世界銀行のような大きな国際機関で働くことにチャレンジしてみようと決意しました。国際機関、特に世界銀行で働くには修士号が必要なので、それまでに貯めたお金で、オランダのライデン大学で行政学の修士号をとることにしました。実はその頃、アメリカ人の夫と結婚したばかりで、永住権(グリーンカード)の許可が降りるのを待っていたのですが、取得までにはとても時間がかかることもあり、それならばそれを待っている間の時間を使って修士号を取ってしまおうと思ったのです。一気に沢山の決断をして、ある意味賭けでもありました。

修士論文が世界銀行の仕事につながった

大学院を終えて修士号を取った時に、たまたまジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)のプログラムで、世界銀行で報酬専門官の空席公募がありました。その仕事内容と、大学院での修士論文の内容に重なる部分があったため、国際機関で働けるチャンスではないかと思って応募してみたところ、合格することができました。

私の修士論文は、公共セクターで働く人の志望動機と職務内容の一致が、仕事以外でのボランティア活動にどのように影響するかを、行動経済学の観点から統計データを使って理論的に分析し、自分の立てた仮説を証明するというものでした。

今の仕事は人事総局(人材・文化・人事業務) 報酬担当人事専門官で、採用やキャリアマネジメントなどのいわゆる人事の仕事ではなく、予算管理と企業統治に近い内容になります。具体的には、世界銀行の人事制度と給与・報酬制度の構築と3年ごとの改定、人事制度改築や人件費に関する毎年度の予算の提出、理事会向けの書類作成、そして理事会のアドバイザーや予算委員会、幹部や世界銀行総裁室に対する、報酬制度や政策・予算に関する責任者説明になります。

カンボジアの銀行での会議
また、世界銀行グループ全体の給与・報酬に関係する制度の設計と改正、コストとガバナンスも担当していますし、世界銀行グループの理事会と幹部に世界銀行の雇用政策と報酬制度を提案し、組織の戦略的な改善や意思決定を支援しています。例えば、給与を上げる場合には、各国の通貨で計算した給与を世界銀行の予算に合わせてドルベースに変換して取りまとめ、理事会に予算を提出しています。このため、職員と向き合う仕事というよりは、むしろ数字を扱い、データを分析するのが主な仕事です。

専門性を身につけたい

やりたいこと、やるべきこと、できることが一致するまで、本当に悩んでいろんなことにチャレンジしました。そんなこともあって、3年以上同じ職場にいたことがなかった私ですが、今の仕事は6年目になります。頑張って続けている理由は、高度な専門性を身につけたかったからです。報酬専門官の仕事は、数字を扱うだけでなく、マクロ経済を理解した上で各国の通貨での給与設定をするため、とても細かい部分にまで注意を払って丁寧にやれなければなりません。またひとつの制度を変えようとする際、費用や予算面にどのような影響があるのかを、財務的な面から提示する仕事でもあり、実践的なスキルを身につけることができています。6年間この仕事を続けることで、長い間やっていないとわからないこともあるのだと知りました。今では私の知識を教えて欲しいと聞きにくる後輩がいたり、大きなプロジェクトを任されたり、世界銀行グループ総裁にブリーフィングする機会を与えられるようにもなりました。

他方で、給与基準や組織の制度を作る仕事は、感謝されない仕事でもあります。組織としては人件費というコストを下げたいと考えますが、職員は給与を上げてほしいものです。私たちは制度に基づいて給与基準や予算の設定をしていますが、時には感情的になって異議を唱える人もいます。そうした場合には、こちらの感情をコントロールしながら冷静に論理立てて説明することを学びました。

これまでの経験が今の仕事の基礎に

現在の仕事では、データを分析した上で、それを英語で報告書として作成します。統計手法を使ったデータ分析だけではなく、それを上手に英語でまとめる力が求められます。トロント大学とライデン大学大学院での哲学、政治学、行政学などの勉強、それに伴うレポートやエッセイの作成で得られた語彙力、文章力、そして構成力がいま生きていると思います。世界銀行で世界各国から集まった職員と仕事をし、その成果を世界に発信するためには、英語力だけではなく英語によるコミュニケーション能力が必要とされるのは勿論です。世界銀行内で昇進するにしても、分析力と同じくらい、英語でまとまりよくコミュニケーションする能力は必要不可欠だと思います。

報酬担当専門官というデータと数字を扱う仕事では、各国の政治経済の状況や、労働条件、また他の国際機関(例えば国連や欧州連合など)の制度がどういったものなのかなど、細部まで気を配る必要があります。ネットフリックス勤務時代、多種多様な文化を持つ国に対して、どの番組をどの期間、どの言語と音声で、どのように配信するかきめ細かく計画を立て実行した経験もとても役に立っていると思います。

今後はこれまで培った経験や身につけたノウハウを、さまざまな国の公共政策の事務部門で実践するような、世界銀行のクライアント側に直接貢献できる仕事をしたいと思っています。世界銀行にはガバナンス・プラクティスという部門があり、そうした仕事内容になるので興味があります。そうしたことも踏まえて、今後のキャリアを考えていきたいと思います。

世界147カ国を俯瞰できる仕事

現在の仕事の醍醐味はなんと言っても世界銀行のオペレーションがあるすべての国(147カ国)を対象として仕事に携われることです。様々な国やセクターの経済状況や労働市場を俯瞰できる仕事は他にはなかなかありません。

一方、国際機関には往々にしてある問題ですが、組織が大きいことによる課題もあります。世銀の運営には多くの国や組織が関わっていることから、利害調整や意思決定のために膨大な書類の作成が必要となり、かつ協議に時間がかかることです。ただ、このプロセスに身を置くことも貴重で重要な経験だと思っています。

日本社会で身につけたことは強みとして活かせる

大きい組織にありがちな課題が世界銀行にもあることは申し上げた通りですが、そこでいきなり新人として入ってきて、「これはおかしい」「これは間違っている」と考える人は多いと思います。実際、多くの人が「おかしい」と感じていることもあるかもしれません。しかし、日本人は往々にして、組織の一員として行動することに慣れています。組織でのやり方を尊重しつつ、問題に対して異議を唱えるだけでなく、「どうすれば良いか、どうすれば改善できるか」という提案をしていくアプローチはとても大事です。

また、日本人は他人のことを考えて(思いやって)行動できることも強みだと思います。これまでの知識のノウハウを共有したり、わからない人がいたら教えるものだと思いますが、競争の激しい国際機関では、「自分の知識は自分で得たものだから」と考える人も中にはいます。

さらに、日本で学ぶ社会人としてのマナーも強みとして活かせると思います。現在、私が少なからず相手を尊重して、どんな状況でも思いやりを持ちながら業務を遂行できるのは、数年でも日本で社会人の経験があったおかげだと思っています。

国際機関でキャリアを積むということ

世界銀行というのは本当に大きな組織で、出資国が物事を決めて動いています。突然組織のトップが変わって、我々が辞めなければならない事態に陥ることもあります。様々な理由で物事が決まっていくので、自分の考えや努力だけではどうにもならないことも多いのです。世界銀行の組織の大きさを考えれば、その中で働く私たちは、大きな海の中の魚のようなものです。自分の意思とは別のところでキャリアが左右されることもあるでしょう。採用においても同様で、世界銀行に挑戦して不合格だったらもう2度と採用されないという訳ではありません。最初は世界銀行に入れなくても、他の道を選んだからこそ、その後世界銀行に入る道が開けることもあります。

世界銀行に入ることがゴールだと考えるのも間違いです。一度入行しても契約は数年単位です。自ら数年後の契約を取りに行かなければならない世界です。数年後の状況が不明なことも国際機関では多いため、それでもやってみるという姿勢が必要です。国際機関で活躍したいのなら、リスクを取る勇気を持ってほしいです。「うまくいかない可能性がある」ということは、「うまくいく可能性もある」ということです。可能性が少しでもあるなら、果敢に挑戦してみることで道は拓けます。果敢な挑戦こそが国際機関でキャリアを積むということだと思います。

迷いながらも前に進もう

今、キャリア面で何がしたいか分からない人もいるかもしれません。私もキャリアの荒野をさまよった時期がありました。でも、信念を持って、「やってみないと後悔する!」という気持ちがあれば大丈夫です。私は実は、中学の時には英語の点数が悪すぎて(45点!)親が呼び出されたほど、特に頭が良かったわけでもありません。それが今は、英語で理事会に提出する報告書を書けるくらいになりました。最初から選ばれ抜かれた人だけが世界銀行に入るわけではありません。試行錯誤しながらでも努力を惜しまず前に進んで行けば、いつか自分の夢に辿り着くことができます。

愛犬とハイキングで湖へ
自分を大切にすることを忘れずに

仕事をしていない時は、大好きな犬といつも一緒です。夫や愛犬とハイキングや海外旅行によく出ます。人生は仕事だけではないですし、世界銀行で働くことだけが人生ではありません。仕事で心が折れることもあります。そんな時は、クリエイティブなことをしながら、人生を楽しみ、そして何より自分をいたわってあげることが大事ですよ。

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