「日本の地震保険が開発途上国の支援に貢献?」。再保険業務や資本市場業務に携わるプロの方々でも「ん?」というユニークな金融取引が短期間の間に連続して成約した。一つ目が東京海上ホールディングス(株)(以下「東京海上」)、二つ目がJA共済連(全国共済農業協同組合連合会、以下「全共連」)によるもので、共に世界銀行(正式名称「国際復興開発銀行」以下「世銀」)との連携によって実現した。
前者は、去る3月22日に東京海上がグループ会社を通じてキャットボンド「Kizuna Re Ⅲ シリーズ2024-1 クラスA」(以下、「Kizuna Re Ⅲ」) を発行し、その担保債券として総額1億ドル(約155億円相当)の世銀が発行する債券(以下「世銀債」)に投資いただいたもの。後者は4月17日に、全共連が特別目的会社を通じてキャットボンド「Nakama Reシリーズ2024-1)」(以下「Nakama Re 2024-1」)を発行し、同じく担保債券として総額1億5000万ドル(約233億円相当)の世銀債に投資いただいたものである。
両キャットボンドとも巨大地震が日本で発生した際に東京海上と全共連の保険金支払いをそれぞれ補完しつつ、地震が発生しない限りにおいては世銀債に投資し続けることで、SDGsの達成を後押しする「持続可能な世界」のための投資も同時に実現していることが特徴だ。
キャット(CAT:Catastrophe=カタストロフィの略)ボンドとは、一般的な債券よりも高い金利が支払われる(ハイリターン)代わりに、特定の自然災害が発生した場合には、投資家に戻ってくる償還元本が減少する(ハイリスク)という特殊な仕組みの債券だ。発行体は一般的な債券よりも高い金利を投資家に支払わなければならないが、自然災害で一定規模以上の損害が発生した場合には、その損害規模に応じた金額を元本から減額して投資家に返済する。その減額された分の資金をキャットボンド発行体が保険金として受け取り、被保険者への保険金支払いに充当する仕組みだ。
(図表:キャットボンドの仕組み)
キャットボンドに投資された元本資金の管理については二つの重要なポイントがある。
第一に、当該キャットボンドに投資された資金(キャットボンド元本)が保険金支払いや地震が発生しなかった場合の満期償還に備えて、安全な金融資産で別途管理されなければならない。関係者が知らぬ間に大切な元本資金が不正に流用されるような事態を厳に回避するためである。
第二に、地震発生と保険金支払いのタイミングは事前には予想できないことから、当初投資された元本を減らすことなく機動的に現金化できなければならないことである。この二点目は一見簡単そうに思えるかもしれないが、巨額の金融資産で元本を減らすことなく、任意のタイミングで現金化できることが「確約」されている金融商品の種類は実はそう多くはない。われわれにも身近な銀行預金はその一例だが、一般的に銀行預金は最も金利が低い金融商品の一つで、本スキームが必要とする金融リターンは得られなかった。もちろん、期間内に預金先銀行が破綻しないことも条件となり、金融リターンと信用性のバランスの観点から、本件に銀行預金を採用する選択肢はなかった。過去の実績を見ると、米国債等で運用されるMMF(マネー・マーケット・ファンド)が採用されたケースが最も多かった。
今回、世銀が東京海上と全共連のために、それぞれ特別に発行した世銀債ならば、この二つの条件を満たすことが可能だ。この世銀債は、両キャットボンドの期限前償還条項に合わせて、市場環境に左右されることなく同額の世銀債を元本を減らさずに一部または全額を期限前償還させることができる。一定の条件の下、投資家が発行体に対して「押し返す(償還させる)」ことができるという意味で「押し返し可能債券:Puttable Bond」と言われている。
市場で最も流通している債券は、満期まで金利が一定の「固定金利利付債」であるが、これだと市場金利が上昇すると債券時価は下落してしまい、満期前に市場で売却すると元本割れしてしまう。 変動利付債である「Puttable Bond」ならば、市場リスクを極小化し、リスクを世銀の契約不履行に絞り込むことができる。世銀には最高格付けのAAA/Aaaが付与されており、東京海上ならびに全共連は今後市場環境に予想外の変化があっても安全に保険金を受け取る仕組みを構築することができた。
高い信用力を有し、Puttable債の発行実績もある債券発行体は実は世銀だけではない。いくつかの候補があった中で、2件の新発キャットボンドに連続して世銀債に白羽の矢を立てていただいた最大の理由は、まずは世銀債の高い信用力だ。それに加えて、SDGsを後押しする「持続可能な世界」のための投資の対象としても世銀債が高い評価が得られたからだ。両キャットボンドが償還するまでに日本で巨大地震が発生しない限り、その間は元本資金が開発途上国を支援する世銀の融資ポートフォリオ全体の原資となる負債ポートフォリオ(世銀債総残高)に組み込まれる。世銀の融資プロジェクトは、環境と社会に良いインパクトと成果をもたらすよう設計されており、全ての世銀債はこの持続可能な開発プロジェクト全体を支えるために発行されている。
気候変動と併せて世銀が近年注力しているのが大自然災害のリスク管理(Disaster Risk Management:大自然災害リスク管理、以下DRM)であり、世銀が取り組む開発途上国支援において近年極めて重要な使命の一つとなっている。DRMの先進国でもある日本との連携も世銀は積極的に進めており、本年6月には兵庫県姫路市で2010年の発足以来初のアジア開催となる「Understanding Risk Global Forum(世銀防災グローバルフォーラム・UR2024)」も控えている。
世銀自身も開発途上国の災害リスクに対処するキャットボンドを発行しているが、そもそも世銀の業務が開発途上国の支援に限定されていることもあり、これまで世銀が発行してきたキャットボンドは開発途上国の支援のみに特化している。一方、今回発行された両キャットボンドは、先進国である日本のDRMと開発途上国支援の両方に寄与している点が大きな特徴だ。不幸にして巨大地震が日本で発生してしまった場合は、両キャットボンドの投資家は投資元本の一部または全てを失うこととなるが、その資金は東京海上ならびに全共連を経由して最終的には日本の被災地の支援に有効活用される。日本のDRMに世銀債が活用されている点は、同分野での日本と世銀の強い連携を象徴しているとも言える。
世界における大自然災害による損失が年々拡大傾向にある中、「人々が生活しやすい地球での貧困削減」に損害保険が果たす役割は極めて重要だ。先進国と開発途上国の支援を同時に実現する金融取引を設計当初から意図的に行ったという点で、「Kizuna Re Ⅲ」と「Nakama Re 2024-1」が果たした役割は損害保険市場ならびに資本市場双方にとって極めて有意義であった。今後とも日本が先導する同様の取引の拡大と「持続可能な世界」を実現するための投資としてキャットボンドが一段と高く評価されていくことに期待したい。
※今回の執筆料につきましては、能登半島地震で被災された方々を支援するために全額が寄付されます。