緊急事態が発生した際にクリティカルケアを提供する、そのフロントライン(最前線)にあるのが保健医療システムです。
世界銀行が新たに作成した報告書フロントライン『Frontline』では、季節的な医療需要の急増やパンデミック、気候変動、災害などさまざまなショックへの備えを強化した保健医療システムを整備していくための提言を行っています。報告書は防災グローバル・ファシリティ(GFDRR)が運営する日本―世界銀行防災共同プログラム(ジャパンプログラム)の支援により作成されました。
洪水に起因するコレラの発生をはじめ地震の被害、人獣共通感染症といった緊急事態によって引き起こされる病気や死亡を減らす上で、保健医療システムは極めて重要な役割を担っています。人々の健康を守るためには、国が緊急事態において信頼のおける基礎的保健医療を提供できることが必要不可欠です。例えば、世界80ヵ国を対象とした世界保健機関(WHO)のデータによると、2020年は、新型コロナウィルス感染症拡大による混乱が原因となり、必要とされる結核治療を受けた患者数が前年からおよそ140万人減少しました。
日本の財務省国際局開発機関課長の田部真史氏は、「新型コロナウイルス感染症のパンデミックからの復興段階では、パンデミックの経験をもとに、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジを実現することで将来の緊急事態への備えを強化する必要があります。自然災害に対する強靭性に関連する知見は、ビルド・バック・ベター(より良い復興)やパンデミックに対する事前準備の拡充において役立ちます。こうした観点から、グローバル・ヘルスの取り組みと防災の連携は今まで以上に重要となってきています」と述べています。
しかし、低中位所得国ではリソースと能力に制約があるため、パンデミック以前から多くの保健医療システムでは日常的な需要を満たすことさえ困難でした。今後、災害や気候変動をはじめ、パンデミック、人口動態の変化、慢性疾患によって、そうしたすでに困窮している保健医療システムへの負担はさらに増していくことでしょう。
世界銀行保健・栄養・人口グローバルプラクティスにおいてプログラムディレクターを務めるデイヴィッド・ウィルソンは、「過剰な負担がかかり脆弱化した保健医療サービスが緊急事態下で混乱をきたすと、結果的に数十年にわたって人間開発の進歩に影響を及ぼす恐れがあり、多くの場合、その影響が人々の間に、そして世代を超えて広がっていくことになります。問題のない平穏な時期にこそ保健医療システムの強靭化を図ることで困難に直面してもそれに持ちこたえられるようにする必要があります。」と指摘します。新型コロナウィルス感染症拡大の影響に関する推計によると、貧困国では栄養不足と基礎的保健医療サービスの中断により母子の死亡率が大幅に上昇しています(母親が39%、5歳未満の子どもが45%)。日本政府が創設ドナーとなっている「保健危機への備えと対応に係るマルチドナー基金(HEPRF)」は、途上国が健康緊急事態の影響に備え、予防し、対応し、緩和することに貢献します。
保健医療システムの強靭化に向けた仕組み
パンデミックの最中の2021年1月、マグニチュード6.2の地震がインドネシアのスラウェシ島を襲いました。被災地域では4つの大規模病院が被害を受け、建物が倒壊し、救援・救命活動が大きく阻害されました。こうした事態によって、緊急時でも医療ケアを継続するためには、医療従事者をはじめ、建物、機器、医療物資供給網の災害に対する強靭性の確保が重要であることが浮き彫りになりました。
世界銀行都市・防災・強靭性・土地グローバルプラクティスにおいてグローバルディレクターを務めるサメハ・ワーバ は、「保健医療システムの強靭化は、持続的な発展のためにも、また、パンデミックや災害といった広域的に波及するシステミックショックを管理し、人命の損失を軽減するためにも必要不可欠です。信頼性の高い、ショックに耐え得るサービスを実現するためには、国全体の緊急事態管理・災害対応システムに保健医療を組み込み、水・交通・電力といったライフラインを司る質の高いインフラがそれを支えなければなりません。」と述べています。
同報告書は、防災と緊急事態管理の経験から得た教訓を活かして、これまで以上に信頼性の高い、ショックに耐え得る保健医療サービスの提供に向けて5つの領域にわたる優先事項を提案しています。
- 基盤:日常的な需要に効果的に対応することでショックに対する保健医療システムを強靭化。十分な機器、資金、有能な医療従事者、効果的な情報システム、効率的な管理運営手順といったさまざまな要素を強化する必要があります。包摂的で安価な、質の高い保健医療サービスを提供できるようにするには、継続的な投資と政策措置が必要不可欠です。
- 保健医療施設ごとの対応:需要と能力、ショックに対する事前準備。緊急事態が発生した際に必要とされる能力、技能、医療従事者、機器、管理体制、物資、手順を整備する上で鍵となるのは緊急時対応計画です。保健医療施設自体も、洪水や地震などのショックに対して強靭性を確保しなければなりません。
- 保健医療システム:需要急増時の対応能力と連携を強化する戦略。リソースに制約がある場合には、すべての施設の能力を即時に最高水準に引き上げることは不可能です。情報共有・連絡手段の向上や、連携のとれたサービス提供のためのデータ駆動型アプローチ、モバイルクリニックの活用により、システムレベルや地域で連携のとれた対応が可能となり、医療需要の急増に対処することができます。また、リソースと能力の制約を予測し、緊急物資のニーズに応えるための緊急時対応計画を策定することも必要です。
- 緊急事対応の統合:災害対応・市民保護担当機関との連携。緊急事態に備えて保健医療システムの事前準備を整えておくには、軍隊をはじめ、市民保護担当機関、民間団体といった国全体の緊急事態管理・災害対応システムとの間で緊密な連携を図り、危機対応にあたっての役割と任務を明確化しておく必要があります。この重要性が明らかになるのは基本的ニーズ(食料、避難所など)を満たすと同時に公共サービス(安全、社会的セーフティネット、保健医療など)も提供しなければならない災害後の段階です。
- 強靭性のある保健医療サービスを提供するライフライン・インフラ。効果的な保健医療サービスの提供には、質の高いインフラの構築が欠かせません。災害時やパンデミック発生時には、さらにその重要性が増します。強靭性のある水・電力・交通・通信・デジタルシステムなくして、十分な治療能力、保健医療への公平なアクセス、物資供給網の機能を確保することはできません。保健医療サービスの強靭性は、そうしたライフラインの相互依存性の上に成り立つものです。
環境に優しく、強靭性があり、包摂的な復興と発展に取り組む中で、世界の国々は、現在の危機を機会に変え、保健医療システムを強靭化する好機を迎えています。世界銀行は、コミュニティにおける保健医療サービスの混乱を軽減するとともに、人々の命と暮らしへの影響が長期間に及ぶことのないよう、開発パートナーと協力して技術面・運営面での支援の調整に取り組んでいきます。