2019年5月14日 朝日新聞朝刊「ひと」より転載
ルポライターになりたかった。学生時代、冷戦下のソ連や欧州を旅し、文化や政治体制の多様さに目を奪われた。旧ユーゴスラビアを舞台にした作品が週刊誌「朝日ジャーナル」の佳作に選ばれた。
作家の夢は断念したが、世界を見据えた志は途上国を支援する世界銀行に向いた。若手職員の公募に応じて30年間勤め、2月に生え抜きの副総裁に就任した。約30人の幹部でただ一人の日本人だ。
インドネシアなどで支援の現場を踏み、「貧しい人々のたくましさはとてつもない」と感じた。東日本大震災では貧困国からも日本に義援金が寄せられた。「災害対応の教訓を伝えたい」。東北の被災地を訪ね、報告書にまとめた。
世銀はいま、積極的な開発融資で途上国への影響力を広げようとする中国の台頭などで、改めて意義が問い直されている。所管する開発金融総局は資金を集め、融資政策を統括する世銀の要だ。「人種や肌の色、宗教を意識せず働く世銀のような場が国と国との対話につながる」と信じている。
趣味のバスケットボールで多くの米国人と交流してきた。誰もが競って能力をアピールする文化。日本人の若手職員には「仕事でパスを受けたらボールを回すだけではなく、自分でシュートしろ」と伝えている。日本人職員は3%ほどにすぎず、かつての自分のような若者の挑戦も待っている。
文・青山直篤 写真・ランハム裕子