国際的なニュースへの関心が高かった中・高時代 中学に入ったぐらいの頃だったと思うんですが、エチオピアで飢饉があったんです。それが物心ついてから、初めて貧困について意識したきっかけでした。あちこちで援助のキャンペーンが行われたんですが、父親が沖縄出身である自分は、日本政府が沖縄に多額の金を注ぎ込んでいても沖縄が貧しい地域であることに変わりはないという現実を見ていたから、単に援助でお金を落とすことがいいものだとは思えなかった。そのとき、「じゃあ具体的に何をすればその国を助けることになるんだろう?」という疑問と興味を持ったことは印象に残っています。
その後、高校生のときにフィリピンで政変があって大統領が変わったときにも強い興味を覚えるなど、段々と自分の関心の対象が広がっていきました。大学を選ぶときには、香港の返還のときに現地でそれを体験できたら面白いだろうな、実はそんな思いから東京外国語大学の中国語学科に進むことを決めました。
アフリカで受けた「カルチャーショック」 大学時代は、学校にはあまり行きませんでしたが、社会科学の古典に当たるような本は徹底的に読みました。そして旅行もたくさんしましたね。いろいろな場所に行ったんですが、アフリカではそれまで社会学などで学んでいた論理があまりに通用しなくて、「なぜ彼らはこうなんだろう?」と逆に興味を引かれてしまい…結果として1年近くも滞在してしまいました。元々、父親には「おまえは理屈で考えがちだから、街に出て自分の足で歩け」とよく言われていましたが、その意味でも、この旅は非常にいい経験になったと思います。
そして、大学卒業後1年ぐらいふらふらしましたが、バブルがはじけた直後でまだ就職がそんなに難しい時代じゃなかったですから、比較的楽観的だったし、何よりも「自分の専門性がしっかりあってテクニカルに強ければどこでもやっていける」という思いは持っていました。
「気付いたらここにいた」という運のよさ
その後、タイで道路案件のコンサルタントをやっていた時に、プロジェクトのチームリーダーがたまたま元世界銀行の方だったんです。一緒に仕事をして親しく話をするようになり、「ヤングプロフェッショナルという制度があるから、世界銀行を受けてみれば」と言われて。そろそろ博士論文も書き始めて、その後の進路も考えないといけない時期だったので、調べたらちょうど募集をしていたので応募して、そのまま運良く合格したという感じですね。世界銀行を受ける前は、正直ほとんど予備知識もなく何も考えていなかったんですが、面接当日、面接官の方との話がすごく楽しかったんです。そこで初めて「こういう人たちと一緒に仕事がしたいな」と思い、世銀に入ることについて前向きになりました。
世銀に入ってみて印象的だったのは、思ったよりも皆が効率化や単純化を重視して仕事をしているということ。ダイナミックで優秀な人がたくさんいて一緒に仕事をしていてすごく楽しい。最後結果を出すということに向けて全員が努力している。「大事なのはプロセスではなく結果」、この点については一本軸が通っている組織だと思います。また意思決定のプロセスに関しても、ほかの国際機関や日本の機関とは明らかに違います。世銀では、最終的にはボスが決定し部下はそれに従うので、国別担当局長や幹部がどう反応するか推し量りながら物事を進めていかないと、後からとんでもないことになりかねない。そのへんは気を使いますね。
チームリーダーとしての苦労 世銀で関わっている仕事内容としては、主に社会発展のための道路案件、そして小規模インフラ案件ですね。ヨーロッパ・中央アジア地域総局にいたときは特定のプロジェクトのチームリーダーやチームメンバーとして働いていましたが、今はより多くのプロジェクトを見ていて、現地の人やカントリースタッフの仕事を監督したり、人員配置したりと半分コーディネーターのような仕事をしています。常々思っていることなんですが、本当に面白いと思うことや、好きなことを仕事として追求するためには、残念ながら8割ぐらいは「やりたくないこと」をやらなくてはいけない。しかし逆に言えば大きな目的の達成はそういった小さな作業の積み重ねの先にこそあるのだと思います。この小さな作業というのは、自分の仕事に直接かかわるものだけでなく、コメントやアドバイスを求められたら面倒がらずに対応して、いろいろな人に会って自分の経験や知識を広く発信して、というのも含みます。そういうネットワーキングみたいな活動を通じて、「石原というやつがいてなかなか面白いことをやってる、信用できるし、使えるようだ」という認識を広めていけば、単にキャリアにつながるだけでなく、仕事も楽になります。判断を任せてくれるようになるし、いちいち突っ込まれることもなくなってきますから。そう言いながら、実はどちらかというと仕事をしているほうが好きで、ネットワーキング自体はあまり好きではないんです。それでも年に数回は努めてBBL を開催して、仕事の経験や情報を発信するようにしています。そうすることで、仕事の時間を割いてまで嫌いなネットワーキングをしなくても、ネットワークづくりに役立ちますから。
それにしても、プロジェクトのチームリーダーをしていると正直なところ頭が痛くなる時もあります(笑)。クライアントがいて、国別担当局長がいて、ほかにもいろいろな人がいろいろなことを言うんですから。「これをすぐにやっておかないと」という細々としたことがたくさんあるので、そもそものゴールを見失いそうになってしまう。そんな時こそ、こまごまとした妥協点を積み重ねていくのではなく、貧困削減と社会経済開発という最終目的に常に立ち戻って、そのうえで最善の方策は何なのか考えるべきなんです。そして、どこかで「落としどころはここかな」と思ったら、みんなが納得してその結論にたどりつけるように持っていくのもチームリーダーの腕の見せ所だと思っています。だから、いろんな人に会って意見を聞いたり、話したり…。本当に胃が痛くなりますね(笑)。
世銀で働く上で、きちんとした専門技能を身につけていることはもちろん大事ですが、やはり世銀はチームで動いているのでチームワークがないと厳しいです。チームリーダーとして若い人と仕事をするときは、あらゆることをやってもらえるよう、今やっていることが長期的にどう仕事とキャリアに結びつくのかをきちんと説明するように心がけています。それと、自分ならこうする、というのを押し付けるのではなく、具体的なやり方はその人に任せるようにしてます。投げっぱなしにするのではなく、ちゃんと目を配って、時々進捗状況や課題を聞かないといけませんけどね。これは、個々人の特長を最大限に自由に生かしてもらうという意味ではどこでも同じですが、世銀のような多国籍の組織では特に重要です。さまざまな文化背景から来る人たちでチームを組むわけですし、みんな家庭やプライベートの生活もあるわけですから、具体的に仕事をどうやりくりするかはある程度まかせておかないと、無用な軋轢を生むことになります。どういう道をたどろうと、結局結果を出せばいいわけですから。
あとは、何が起きてもパニックにならないことですね。想定外のことが突然起きるのが、われわれの日常ですから。パニックにならない一番の方法は、目的の達成に最低不可欠なものを明確に認識しておくこと、それ以外のものは切り捨てる度胸を持つこと、そしてプランBを常に頭に置いておくことだと思います。別の言い方をすれば、細かいことは考えすぎず、シンプルに動くということです。
「現場を経験すること」の大切さ
若い人には「30歳までは現場にいなさい」と言いたいですね。自分で汗を流して、靴に泥をつけて自分で実際に学んだことが、あとで生きてくると思うので。学校でどんなに様々な理論を学んでも、実際にプロジェクトがどんなふうにまわっているのかを経験しなければ文字通り机上の空論です。我々の仕事は、政策やプロジェクトを実際に実行するクライアントを支援・助言することですから、そのときに自分に現場経験があるのとないのとでは大きな差が出てくると思いますよ。実際の現場を知らないといつかつまずくと思うんです。その意味で、世銀に来るのは、現場を経験した後でいいんです。
他方、理論を学ぶことももちろん大切です。学業に関してはぜひ博士号を取って欲しいです。基礎をしっかり勉強して専門性が強くなると、いろんな状況においてもちゃんと判断できると思うんです。私はキックボクシングをやっていたんですが、ボクシングも同じ。一日30分のシャドーボクシングを毎日やらない人は決してうまくならないんです。基礎がきちんとできれば、応用もきく。応用力があれば、その場その場で適切な判断ができる。仕事を任せられるかどうかを決める一番の材料は、判断力ですから。それに、学校で習ったことをただ言ってるだけか、ちゃんと理解して言ってるかどうかは、話を聞けばすぐに分かります。皆さんのご健闘を祈っています!
BBL:ブラウンバッグランチの略。昼食持込み勉強会。サンドイッチなどが入った茶色の紙袋(Brown Bag Lunch)を持ち込むことからその名前がつけられている。昼休みを利用して特定のテーマについてプレゼンテーションや議論が行われる。ほぼ毎日のように世界銀行の様々な部署でBBLが開催されている。