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特集2011年2月1日

吉島瑞子 世界銀行 中東・北アフリカ地域総局 環境セクター 環境専門官~第28回 世銀スタッフの横顔インタビュー

華やかな色のネイル、白いジャケットで颯爽と現れた吉島さんはいかにもキャリア女性という印象。意外にも、どちらかといえば控え目で、お母さまに背中を押されて留学を決めたなどのエピソードの数々を披露してくれた。マイペースながら順調にキャリアを積み、望む環境問題に関する仕事に従事している彼女の「大事なもの」とは?

Suiko Yoshijima

The World Bank

埼玉県川越市出身。東京大学文学部社会学科卒、同大学院新領域創成科学研究科環境学修士。在学中にハンガリーにある中東欧地域環境センターでインターンをし、環境関連の仕事を目指すが、ビジネスの世界を知るために2002年ブーズ・アンド・カンパニーに入社。事業戦略作成や組織運営改善プロジェクト等に従事。民間で経験を積んだ後キャリアチェンジのために2006年よりハーバード大学ケネディスクールに留学し、行政学修士号(Master in Public Administration)を取得。卒業後2008年より世界銀行勤務。持続可能な開発総局を経て現在は中東・北アフリカ地域総局環境セクターにて主にBrown issueと呼ばれる公害問題を担当。高校時代に生まれて初めて訪れたエジプトで、出張毎に大気汚染と渋滞に悩まされながらも環境改善のために奮闘中。

開発に興味を持ったきっかけは・・・

小学校のとき、仲の良い友人が戦争、貧困問題などについて書いた作文が文集に載って、母親がいたく感心していたのに触発されてその作文を読んだのが、初めて開発に興味を持ったきっかけかもしれません。それまではまったく開発に興味が無かったのですが、友人の作文を読んで初めて自分の国以外に住んでいる人たちが抱える問題について知り、自分にできることは何かないかな、と考えるようになりました。

小学校・中学校と地元の公立校に通っていて、海外に触れるチャンスもほとんど無かったのですが、母親が近所の子どもを集めて英語の先生をやっていたので、英語に関しては早い頃から強制的に(笑)勉強させられましたね。

転機になった高校での留学

高校受験のとき、留学制度がある高校を選んだのは母親に「留学してみれば?」と言われたからなのです。帰国子女が多く、全国模試でも英語の成績だけがとび抜けていいような学校だったのですが、そんな学校だったからか、英語の授業についていけず落ちこぼれそうになって。改めて「留学したい!」と強く思い、応募してバーモント州の高校に10か月ほど留学することになりました。

母のおかげで早いうちから英語を勉強していたとはいえ、日本の英語教育ってあまり英会話を重視していないし、会話がわからなくて最初は本当に困りましたね。アメリカの10代くらいの子どもたちってきついところがあって、こちらが「もう1回言ってくれる?」と言っても「もういいや」みたいなところがありました。待ってくれない。当時はインターネットもないし、日本語から隔絶されたような状態で寂しい思いもしたし、なんで英語がわからないのかすごく悩みました。「語彙が少ないのが原因だ」と思って辞書を最初から最後まで読もうとしたり(笑)。

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でも、ホストファーザーがとても親切な人で何かと話しかけてくれたり、老人ホームを訪問しておじいちゃんおばあちゃんの話し相手になるという学校主催のボランティアに参加したりして、少しずつ自分なりの勉強法を見つけていきました。英語を学ぶ、ということ以外にも、1人で言葉もわからないところで一定期間暮らした、という自信がつきましたし、日米の教育の違いも肌で感じることができたのはすごくよかったと思っています。日本の教育は暗記が中心というか、与えられた課題を淡々とこなすというイメージですが、アメリカではとにかくエッセイを書かせる。あなたはどういう意見なの?ということを常に求められるので、考えないと書けません。この留学を期に、色々なことに関して考えるという習慣が身についた気がします。

所沢のダイオキシン問題で環境問題に開眼

大学で社会学を選んだのは、人間の行動に興味を持つようになったから。ちょうどその頃に環境問題が注目を浴びるようになって、中でも所沢のダイオキシン問題は、家も近かったのですごく関心を持ちました。それまで、環境問題というのはどこか自分からは遠いものだと思っていたところがありましたが、急に現実問題として迫ってきたときに、では困っている人たちを守るためにはどうすればいいのか?ということを考えて、住民運動を対象に研究を始めました。住民運動が一体どのような組織で運営されていて、それが最終的に政策にどのように影響するのか、といったようなことです。折りしも、環境学が学べるという新しい学部が創設されることになり、「せっかく興味を持った学問を学べる場があるなら、あと2年ぐらい勉強してもいいな」という思いで大学院に進むことを決めました。

大学院時代に、ハンガリーにある中東欧地域環境センターでインターンをしたのは、高校での留学を思い出して「そろそろまた外に出たいな」という気持ちがあったからです。2か月ほどそこで過ごしながらハンガリーの住民運動について調査していましたが、ヨーロッパ中からインターンに来ている学生がいて、皆が泊まっているインターン用のロッジに宿泊しました。バラエティに富んだ国籍の学生たちと一緒にランチをしたり、夜遅くまで環境問題に関する議論をしたのはすごくいい経験だったと今でも思いますね。

「逆の立場で物事を経験したい」と民間企業へ

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「私は環境関連の仕事をする!」と、インターンからやる気満々で帰ってきたのはよかったのですが、その段階では海外で働くということはあまり考えていませんでした。理系ではないので、研究職以外で国内で環境の仕事を探しても、当時はあまり仕事がない時代でした。そこで、シンクタンクなどを受けましたが、あるコンサルティング会社で面接を受けたとき、会う人会う人がとても面白くて。社会学というのは、起こったことに対して分析をする、後付け的な性格がどうしても強い学問なので、逆にビジネスの世界の人たちが何を考えているかということを知ることも重要なんじゃないか、と彼らと話しているうちに思い始めて、コンサルティング会社での就職を決めました。いずれは国際機関で働きたい、という思いは既にありましたが、民間で経験を積んでからでも遅くはない、ということも聞きました。

その会社では様々な案件を担当しましたが、一度ODAに関わるある組織のプロジェクトを担当したことがありました。ODAに関わる組織が実際にどのようなことをしているかを垣間見ることができましたし、「融資案件に入るプロセスに無駄が多いのではないか」、「国民に十分にアピールできていないのではないか」といった民間の視点で組織を見ることができたのは、コンサルをやっていて勉強になった、と思ったことのひとつですね。開発や環境にはまったく関わりのない仕事だと思っていたけれど、こういう形で関わることもできるのだ、と新たな発見もありました。

ケネディスクールでの日々、そして世銀へ

そのままビジネスが楽しい、と思うようになれば、そこで働き続けるということも考えてはいましたが、4人いた同期が留学や起業などの理由で半分になり、自分はどうしようか、と考え始めました。初心に戻って考えてみると、やはり環境に関する仕事を国際機関でしたい、という気持ちが蘇って来て、キャリアチェンジを決意しました。ちょうど、同じ職場に同じような方向転換をした先輩がいたので相談すると、「学校をはさんだ方がそういった機関には応募しやすい」ということを言われ、母親にも「30歳までに国外に出なかったら、もう一生出ないわよ」と背中を押されて、やっと留学のための学校を探し始めました。

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思うところあって、環境学の大学院と、政策を学ぶ大学院(ケネディスクール)を両方受けましたが、どちらに行くかは最後まで迷いました。日本の大学で学んでいた社会学では、人の行動が政策に与える影響を研究していたので、「逆に政策側から学ぶというのもいいかもしれない」というのが後者を受けた理由ですが、ケネディスクールに行くといろいろなネットワークもあるし、様々な人に出会えて面白いのではないか、というのが最終的に自分が出した結論です。ケネディスクールでは地球温暖化、エネルギー政策などを学びましたが、興味を持ったのは環境NGO。日本のボランティア的なものとは違って、アメリカのものはほとんど企業という感じです。仕組みなどを学んで、日本でそのような組織を立ち上げたいという思いもありましたが、大学院修了を前にしてお金も底をつき、受けていたアメリカの環境NGOからも色よい返事はなく、「日本の企業を受けて就職しなくちゃ」というふうに考え始めました。

そんなとき、ケネディスクールに一緒に行っていた友人が「日本に帰るのはまだ早いんじゃない?」と言ってくれて。クラスメイトが環境NGOや国際機関で働いている知り合いを紹介してくれて、1か月半ほど職探しをしたのが世界銀行に入行するきかっけになりました。自分の本当にやりたいことは何なのかを考えさせられましたし、「話を聞きたい」というだけで色々な方に会えるということは、すごく刺激になりましたね。

世界銀行での仕事、そしてこれから

世界銀行に入行後はエネルギーセクターに配属されて、理系の方に囲まれつつエネルギー政策に携わりました。リサーチをしてレポートを書くのが主な仕事でしたが、技術的なことを学べて非常に勉強になりました。ただ、このレポートは実際にオペレーション(融資案件)をやっているスタッフのための資料なので、実際にオペレーションを経験していない私にとってはどんなニーズがあるかが今ひとつつかみきれず、自分も一度オペレーションを経験してみたい、と思って次に移ったのが今の中東・北アフリカ地域総局の環境セクターです。

担当しているのは公害問題。主に担当しているエジプトは大気汚染が深刻で、いくつかのプロジェクトが進行中なのですが、例えば政府が政策を作るために必要な調査や、経済的なインセンティブを与えるために、国営銀行を通じて企業にお金を貸して環境対策をしてもらう、企業の環境対策を評価して国民に公開する、といったことをやっています。実際に私がしている仕事としては、コンサルタント会社に仕事を委託するための仕様書を作成したり、プロジェクトの進行管理上、進行を妨げる障害があれば取り除くといったことですね。自分ではコンサルタント時代にやっていたこととそう変わらない仕事内容なので、当時のスキルが生きていると思います。もちろん、プロジェクトの期間は今のほうが比べものにならないほど長いですが。担当している国にはイラクも含まれていますが、爆撃事件が起こっている、というニュースを見ながら「この書類を明日までにください」とイラク側のプロジェクトリーダーに言っても来るわけもなく、だからと言って永遠に待てるわけでもない。その辺のバランスをはかるのが難しいですね。

中近東では、まだ環境問題のためにお金を払うといった意識が根付いていないこともありますが、これからは、担当する地域において融資案件を増やしていくことが課題だと思っています。これから、初めて準備段階から関わることができる、チグリス・ユーフラテス川のプロジェクトが始まるので楽しみですね。チームリーダーを勤められるようになるまで、しばらくはこの部署で働き続けていたいです。でも、生きている間に、一度は自分の組織を立ち上げたいという夢もあるので、いつか挑戦できたらいいなぁとは思っていますね。

岐路に立ったときは「悩みぬくこと」が大事

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私も今まで、何度か人生の岐路に立って悩んだことがありますが、今になって思うのは「悩むこと」の大切さ。本当は、AとBのどちらを選択しようと、自分が決めたことだったら何らかの突破口が開けていくと思います。大事なのは、自分の将来を真剣に考えて、悩んで、悩んで、悩みぬくこと。精一杯悩んで、決断をしたら振り返らずに先に進んでいくことが重要なのではないかなと思います。

それから、これから進路を考える人に言いたいのは、よく言われることではありますが、英語プラスもう一言語を若いうちに勉強しておくことですね。将来国際機関で働こうと思うなら、やはり身につけておいて損はないスキルですし、逆に若いからこそ時間もあるしいつでも始められることですから。私も今フランス語を勉強していますが、高校・大学時代に勉強していたことがあるので少しは助かっています。いろいろな方に話をうかがっていて、すごく印象的だったのが「人はいつでも変われる」という言葉。私だけかもしれませんが、日本人って知らず知らずのうちに自分の可能性をせばめてしまいがち。自分の可能性を信じて、精一杯やってみてくださいね。

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