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特集2011年1月11日

舟橋純子 世界銀行 法務総局 環境・国際法務ユニット 上級法務担当官~第27回 世銀スタッフの横顔インタビュー

仕事や子育てについて時折りユニークな例え話を交えながら話す様子からは、落ち着いた物腰の裏側に秘めた仕事への情熱や、努力を惜しまない彼女の粘り強さが伝わってくる。子育てと仕事の両立に奔走しながら、世界銀行で弁護士としての仕事に力を注ぐ彼女に様々なことを語ってもらった。

Junko Funahashi

The World Bank

大阪府枚方市生まれ。高校時代にAFS交換留学生としてロサンゼルスに1年間滞在。上智大学法学部国際関係法学科卒。日本の企業に勤務した後、渡米。デューク大学法科大学院にて法務博士(J.D.)を取得。その後、米国法律事務所研修、環境法専門のNGO勤務を経て、1996年2月、世界銀行入行。法務総局の環境・国際法務ユニットで世銀の環境や先住民等に関する政策要綱の仕事を2年半、ヨーロッパ・中央アジア地域総局で融資貸付に関する法務の仕事を10年、そして保証・協調融資ユニットにて気候投資基金(CIF)をはじめとする信託基金担当の弁護士として1年半仕事をした後、法務総局の組織改革の一環により、2010年10月より再び環境・国際法務ユニットに異動。引き続きCIFと、新たに排出権取引を担当。夫・子供2人と母親との5人家族。

海外への扉を開いた交換留学

初めて海外に行ったのは高校生のとき。AFSという交換留学制度の申込書が届いて、思い切って申し込みたいと言ったら、親からあっさり「いいよ」と言われて。試験のプロセスが3次まであるものだったので、親もまさか受かるとは思っていなかったみたいです(笑)。学校を1年休学する形で、ロサンゼルスのベニスビーチの近くの高校に1年間行きました。私は3人兄弟の長女なので、それまで一応、家の中では何かと頼りにされる存在だったんです。それが、ロサンゼルスでは言葉もできないし、何の役にも立たない、赤ちゃんのような存在になってしまって、すごくもどかしい思いをしました。でも、今まで育ってきた居心地のいい家から抜け出して、新しい環境に踏み出したことが、自分を大きく成長させてくれたんだと思います。

自分がいた環境との違いに驚くことも多々ありました。ビーチの近くということもあったと思うんですが、上半身裸で歩いている人が沢山いるのにびっくりして、母親に報告したことも(笑)。ホームシックがひどかったんですが、「その土地にしっかりなじむように」と、電話するのは留学協会から禁じられていたんですよ。手紙が唯一の家族との連絡手段なので沢山家族や友人に手紙を書きました。人生であんなに手紙を書いたことは無かったんじゃないかしら(笑)。ホストファミリーにも後で、「ジュンコが勉強している姿は記憶にないけど、手紙を書いている姿は思い出せる」なんて言われました。

帰国する少し前にホストファミリーや友達が送別会を開いてくれたんですが、その席で「またアメリカには帰ってくるの?」とみんなに聞かれて、「遊びには来るけど、住みに来ることは絶対ない」と自信満々に答えていたんです。それが今やアメリカに住んで20年近く経つんだから、人生って本当にわからないものですよね。

大学3年、将来を真剣に考え始める

The World Bank
帰国して1年遅れて高校を卒業した後、上智大学の法学部国際関係法学科というところに入りました。周りのほとんどが「将来は国連に行きたい」と思っているようなところでした。そんな環境にいても国連で働くということは、その時期の私には漠然とした憧れでしかなかったのですが、大学2年生の終わり頃にちょっとした出来事があったんです。親戚に「将来は何になりたいの?」と聞かれて、「そうだなー、国連みたいなところで働けたら夢だなぁ」というふうに答えたら、「でも純子ちゃんみたいに1年ぐらい留学した人なんてどこにでもいるんだから、それは難しいんじゃないの」と返されて。私はまったくその通りだな、と思って聞いていたんですけど、家族にその話をしたら「純子の希望を壊すような事を言うなんて!」ってすごく怒ってくれて。そのときに、「ああ、私のことをこんなに信じてくれる人がいたんだな」と、驚いたのと同時にものすごくうれしかったのを今も覚えています。

3年生になったとき、弁護士をやりながら大学教授をしている民事訴訟法の教授のゼミに入りました。その教授は、ちょっと成績がいい学生には「君、司法試験受ければ?」、ちょっと英語がしゃべれる学生には「君、ロースクール行けば?」と気軽に言うような、面白くて幅の広い方でした。ロースクールに興味を持ち始めたのは教授の影響だと思います。それから、ある日、合宿で飲んでいるときにその教授がしてくれた話に目から鱗が落ちたんです。それは、「世の中には、天才じゃないと絶対にできない仕事なんて、そんなにたくさんない。でも、世の中に能力がある人はいっぱいいる。努力だけじゃなくて、要領もよくないと、望む仕事につくのは難しいですよ」というお話で、どこに行き着くかを考えながら努力するということはずるいことじゃないんだ、とはじめて気がつきました。

一般企業への就職、そして大学院へ

The World Bank

大学を卒業後、あるメーカーに就職しました。いい会社だったんですが、技術系の人材育成を重視していて。なので、ロースクールへの留学を希望した際に、文系は10年待ってと言われ「10年経ったら、行かないだろうな…」と思ったので自分で行くことにしたんです。ゼミの担当教授のアドバイスもあり、比較的小さめの学校、デューク大学法科大学院へ。のんびりした場所で、教授も学生の面倒をよく見てくれたので、とても恵まれた環境だったと思います。最初の1年は修士を取るつもりで、国際訴訟法を専攻したのですが、その後学位をJ.D.に変更してフーフーいいながら環境法も勉強しました。アメリカ国内の法律事務所や国連のいろいろなプログラムに応募するなどして就職活動をした結果、あるNGOの法務担当として働くチャンスが舞い込んできたんです。この時は、目の前にあった機会をただつかんだという感じで、それが世界銀行への道につながるとはまったく思っていなかったんですが、そこで従事していた仕事内容が、世銀の環境法務ユニットが探していた人材に合致して、最終的に1996年に世銀に入行することになりました。場所や組織に固執せず、でも自分の気持ちはあきらめず、与えられた場所やチャンスの中でベストを尽くすことの大切さを学びました。

「世界銀行で弁護士をする」ということ

日本で弁護士というと法律事務所に勤めて、法廷に立ったり企業法務に携わる、というイメージがあるのですが、アメリカには弁護士があふれている印象があって、実際弁護士資格を持ちながら全く法律と関係のない仕事をしている人も多く存在します。でも、そのなかでも、世界各国の弁護士が集まっている世銀の法務部はかなり特殊な環境といえるかもしれません。いろいろな職種の人々が集まって構成されている世銀では、日々、あらゆる法律案件が舞い込んできます。そういった法律案件に対し的確なアドバイスをするには、世銀のオペレーションや、その他、付随する世銀固有の様々な業務や仕組みに対する理解も必要なので、そこに専門家としての世界銀行の弁護士の役割があるのだと思っています。

私は、2年前まで、主に世界銀行の融資業務に関する法務の仕事をしてきました。具体的には、世銀融資によって遂行されるプロジェクトが世銀の環境関係の内部規約から逸脱していないかを検討するなどの環境関係のアドバイスや、世銀の(融資に関する)内部規約の解釈、融資契約の作成などがあります。地域総局で10年働いていたときは、プロジェクトごとに、タスクマネージャーから資料を渡され、法律文書の作成を求められるのですが、ここから実際の交渉に至るまでは、弁護士の出来不出来が非常に出ますね。交渉においては、どれだけ相手国と同じゴールを見据えて歩調を合わせられるかが重要だと教えられました。経験があると、次に何が起こるのかが見えやすいですし、国ごとの反応も予想しやすいですよね。「プロジェクトを作るというのは馬に乗ることに似ている」と、思ったことがあります。暴れ馬のときもあれば、優しい馬もいる。だいたいゴールにはたどり着けるけれど、馬に引きずられて泥だらけでたどり着くのか、かっこよくスマートにゴールインするのか。その時は、多いときで年間13〜15件ぐらいの新規のプロジェクトに関与していましたが、たとえ暴れ馬であったとしても乗りこなして、最終的にはかっこよくゴールインしたいな、という気持ちで仕事をしていました(笑)。

弁護士は、世界銀行においてはけっして花形の職種ではないですが、私は影で支える今の仕事がとても気に入っています。組織を多面的に見られる位置にいるので、プロジェクトを違う視点から見ることもできて、すごく面白いしやりがいがある仕事だと思います。

「気候投資基金(Climate Investment Fund)」とは?

現在私が関わっている、気候投資基金についてちょっとだけご説明しましょう。気候投資基金とは、世界銀行によって設立された、気候変動対策に取り組む途上国を支援する基金です。気候変動枠組条約(UNFCCC)京都議定書の第一約束期間が2012年末で切れるので、新しい枠組みを作ろうという動きが今あるのですが、その新しい枠組みが定まるまでは途上国における気候変動対策を行うのを様子見をしようという傾向が見られ、懸念されました。ほら、「友達とダイエットの競争をしよう」という時に、決められた開始日の前からダイエットをしてしまうと損ですよね。それと同じで、各国が気候変動に対する対策に関して、足踏み状態になってしまったんですね。でも気候変動対策に一刻の猶予も許されない現状を踏まえて、基金を作って、途上国が気候変動に対応する対策を行うための投資や技術移転を促そうというのが、この気候投資基金のコンセプトです。私は、この基金に関する法律的なアドバイスのほかに、世銀がこの基金を活用して投資を行う案件に関する契約書を作成したり、基金の管理を受託された世銀内の部署(トラスティー)と基金のお金を使う世銀および他の地域開発銀行との間で取り交わす契約書を作成、交渉する仕事をしています。

今は、部署を変わったばかりなので、一日も早く、「この人に頼れば大丈夫」というぐらいにしっかりと排出権取引の仕事ができるようになりたいですね。職場には非常に前向きな尊敬できる人がたくさんいるので、その人達のようになりたいです。

「乗り継ぎ便に乗り遅れそう」な毎日

The World Bank
息子と娘がいるんですが、とくに2人目が産まれてからは本当に余裕がない毎日ですね。母は、1人目の子供の出産を助けに来てくれた時に、私と夫があまりにも仕事中心のハチャメチャな生活を送っていることに驚愕して、それからずっと同居してくれています。朝は子どもと一緒に起きて学校に送って行きますが、夜は子供が起きているうちに帰れないこともあるので、そのときは、母が子どもたちの面倒を見てくれます。今の生活を例えると、飛行機の乗り継ぎ便の最終コールが鳴っていて乗り遅れそうなんだけれど、乗り遅れてしまったら、例えば便を取り直したり宿泊先を確保したりと、いろいろと面倒なことが増えるから何とか今ある便に乗りたい。そんな焦燥感が、毎朝毎晩繰り返されるような感じです。やっぱり子育てをしながら仕事をするというのは大変ですね。母やベビーシッターさんには本当に助けられています。

自分からチャンスをつかみにいく

若い時は報酬や業績の評価などのフィードバックが何もないから、何を支えにして進んで行けばいいか判らなくなることもありますよね。自分はたいした人間じゃないと感じたり、自分を信じることができないときは、家族や先生など、自分を信じて背中を押してくれる人を信じればいいと思うんです。世銀で働きたいという人と会う機会も多くありますが、「こうじゃなくちゃ」という思い込みが間口を狭めてしまうこともあるので、この分野で働きたい、というぐらいの気持ちにとどめて、心を広く持ち続けることをおすすめしています。あとは、できるだけ職歴にギャップを作らないことでしょうか。「行くところがありません」という気持ちで臨むよりも、「今働いていて楽しいけど、あなたのところに行ったらもっと楽しいと思うんです」というほうが取る側としては断然魅力的に見えると思います。

自分の思っているようなチャンスが到来するのを待ち続けたり、それのみを追い続けるのではなく、そんなに得意だったり魅力的だと思えない分野や職種でも、縁があって与えられたチャンスをいつも最大限に生かす努力をし続けると、次につながっていくんだなぁ、と、自分のみならず、私の同僚たちの経験談を聞くたびに痛感します。万が一自分が望んだとおりの展開がなかったとしても、やってみた仕事を通じて自分の得意な分野が見つかるかもしれないんですから。

 

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