Maiko Miyake
千葉県出身。上智大学比較文化学部卒業。イースト・アングリア大学修士号・ブラッドフォード大学博士号取得。国連、OECD、多数国間投資保証機関(Multilateral Investment Guarantee Agency:MIGA)、世銀と、様々な国際機関で投資環境整備に従事。2010年8月からIFCダカール事務所(セネガル)に西・中央アフリカの投資環境整備の責任者として赴任。
千葉県出身。上智大学比較文化学部卒業。イースト・アングリア大学修士号・ブラッドフォード大学博士号取得。国連、OECD、多数国間投資保証機関(Multilateral Investment Guarantee Agency:MIGA)、世銀と、様々な国際機関で投資環境整備に従事。2010年8月からIFCダカール事務所(セネガル)に西・中央アフリカの投資環境整備の責任者として赴任。
当時はハイカラな国際基督教大学(ICU)出身の自営業を営む父と、神戸出身で商船にのる父親を持つ関西外国語大学を卒業した母。2人のバックグラウンドの影響もあると思いますが、子供のころから何かと海外が身近でしたね。家が交換留学生をホームステイ先として受け入れたり、幼なじみの中に帰国子女が多かったり。そんなわけで、高校のときアメリカに交換留学に行ったのは自分の中ではごく自然な流れだったんです。
交換留学は1年間の期限つきだったんですが、1年が終わったところで「帰りたくない」とワガママを言ったんです。日本の高校があまり好きではなかったんですね。両親に「帰って来なくてもいいから、高校をどうやって卒業するかは自分で考えなさい」と言われ、ホストファミリーに相談したら、ありがたいことにとても親身になってもう1年面倒を見てくれて、そのままネブラスカ州の非常に小さな高校を卒業しました。クラスメイトは16人ほどでしたね。
高校を卒業後、「そろそろ日本に帰ってきなさい」と言われて入学したのが上智大学の比較文化学部。SAT(Scholastic Assessment Test:大学進学適性試験)とエッセイで入試を受けられたというのが大きな理由だったんですが、そこで出会った開発経済学にハマりました。父親が自営業だったので、感覚的に小さい頃から商売や経理などには親しんできたんですが、それがはっきりフレームワークとして提示されたことが新鮮でした。個々のビジネスやそれらの集積がどのように経済発展につながっていくのかなどのトピックに非常に興味を覚えました。
勉強をするうちに、だんだんと「将来、なんらかの形で開発の仕事をしたい」という気持ちが固まってきました。それを話すと「世界で活躍したいなら、英語が話せるのは当たり前。ハイレベルな英語が要求されるし、英語だけじゃ駄目だよ」といろんな人からアドバイスをもらいました。それを自分なりに受け入れて、大学時代にはアメリカだけではなく、スペインやアルゼンチンにも交換留学をしました。そんな経験を経て、「効果的に開発に関わるためには、企業やビジネスパーソンなどのプライベートセクターが動きやすくなるような仕組み作りが大切。そのためには、マクロや政策を学ぶことが大事」と思い、大学院でもその分野を専攻することにしました。
大学時代にイギリスのサセックス大学やグラスゴー大学の教授に教えを受けていたこともあって、修士課程はイギリスのイースト・アングリア大学へ。FDI(海外直接投資)と開発について修士論文を書いたんですが、イギリスの修士は1年でしょう?まったく時間が足りなくて、博士課程に進むことを決めました。興味を持った論文を書いた教授に連絡を取り、その教授が在籍しているブラッドフォード大学のビジネススクールへ。「日本からラテンアメリカへの直接投資(お金の動きとその後の影響)について研究したい」と話したら、珍しいテーマだと即採用されました。過去の統計上、日本の投資がもっとも多かったメキシコやブラジルに焦点を当て、博士論文の取材のためにこれらの国に一定期間住んだりしたこともありました。
在学中、教授の紹介でジュネ-ブのUNCTAD(国連貿易開発会議)でインターンをしたり、世界投資報告書(World Investment Report)を作成する手伝いをしたりする貴重な機会にも恵まれました。大学で研究を続けるか就職するか悩んだりもしたのですが、「やはり開発の研究をするだけでなく、現場で開発に携わってみたい」という思いが強くなり、国連のJPOを受けて合格することができたんです。
国連のJPOプログラムで入ったOECDでは開発援助委員会と、直接投資に関する部署の2つの仕事を経験。当時アジア危機があったので、アジアの仕事が多かったですね。入って3年目に、世銀の人事部からヘッドハンティングの電話があったんです。「英語もスペイン語も話せて、できれば国際機関に勤務した経験もある日本人を探している」ということで、そのオファーに応えて移ったのがIFCのラテンアメリカ局です。
ラテンアメリカ局では、はじめコーポレートガバナンス向上などの企業向けの技術協力に従事しましたが、あまり合わなくて。半年ほどでMIGAの投資環境整備をやっている部署に移り、世界各国の直接投資に関するリサーチや戦略立案、その後技術協力をしばらく担当していました。その後、MIGAの投資環境整備の部署と、世銀とIFCの投資環境整備のためのジョイントベンチャー部署(FIAS)が合併して、最終的に今の職場(Investment Climate Advisory Services)に入ることになったんです。
今の職場(Investment Climate Advisory Services)で担当しているのは、西・中央アフリカのビジネス環境整備。最初はアジアや中東のプロジェクトもやっていたんですが、広い範囲の地域を同時に担当することは、時差の問題や出張の行程の複雑なこともあって体力的にきつくなり、ひとつの地域に絞りました。我々の最終的な目的は、経済成長がおこって雇用が生まれ、貧困がなくなること。そのためにはビジネスへの投資が必要ですよね。じゃあ、投資をしやすい環境を作らなくちゃいけない。そのためにはどのような政策が期待されるでしょうか?
西・中央アフリカ諸国の投資環境の難しさを端的に現しているのが、「ビジネス環境の現状(Doing Business)」のランキングの低さ。見てもらえればわかりますが、西・中央アフリカ諸国は軒並み最下位を占めているんです。このランキングは、その土地でビジネスを進めようとする際に、どのくらい複雑で時間のかかる手続きが絡んでいたり、政府の介入があったりするかをまとめたもの(例えば、新しい企業の登記やライセンスを取得するのにどのくらい時間がかかるか、人を雇う際の手続き、資金調達のしやすさ、税金の支払い手続き、契約の履行を促す仕組みがどのくらい整っているか、など)。これらの手続きをできるだけシンプルにしてビジネスをしやすくしてあげたい。政府がビジネスのオペレーションにからむということは、それだけ不透明性や腐敗(賄賂など)の余地があるということ。これはビジネスをスムーズに進める上での大きな障害になり得ます。
このように、現状はあまりよくない西・中央アフリカ諸国でのビジネス環境をよくするためには、法律面を整備することが重要です。これらの国の多くはOHADA(Organisation pour l'Harmonisation en Afrique du Droit des Affaires:アフリカ・ビジネス法規調和機構)という共通の法律を持っているので、このOHADAの法律を変えることができれば一気に大きく進歩できるのですが、変えるためには加盟国16カ国すべての承認がなければいけないという難しさがあります。加えて、インフォーマルセクターをどうやって正規のセクターに組み込んでいくかも課題です。例えば、道端の露店や物売りはしょうがないとしても、アフリカではちゃんとお店を構えている雑貨屋さんなども登記されていないことが多いんです。これらのビジネスをちゃんと登記してもらって、税金を払ってもらうことは国家経済にとって非常に重要なことですよね。
これらの課題をクリアしても、最終的には雇用を作ってくれる投資を呼びこめないと意味がない。ですから現在、各国政府やIFCの投資チームや官民連携(Private-Public-Partnership:PPP)のチームと組んで、投資機会のマッピング、海外投資誘致をしたり、地元の有力ビジネスパーソン(富裕層)にもっと地元ビジネスに投資してもらえるような啓蒙活動をやっているところです。これから3年ほどの間に、「アフリカでビジネスをやるのが難しい」という悪いイメージを少しでも払拭して、「アフリカのビジネス・投資環境は改善している」という印象を世界中に与えるのが、私の目標です。
ワシントンDCの本社にいた頃は出張が多くて大変でした。コートジボワール出身の主人もアメリカ政府の仕事をしていて出張が多く、空港で「じゃあ、あとはよろしく」なんてバトンタッチしたこともあるぐらい(笑)。子どもはベビーシッターさんにずい分お世話になりましたね。ダカールに来たのは、フィールドに出て少しでも出張が減らせればという狙いもあったんです。実際は全然減っていませんが…(苦笑)。少なくとも、主人は、ワシントンDCの仕事をやめて、自分のビジネスを始めたので自由に時間を管理できていて、出張もなくなりました。
幸い、主人は隣国の人だし、子ども二人はまだ小さくて柔軟なうえ、なじみのあるフランス語圏西アフリカということで引越しにもあまり抵抗がなかったみたい。普段から家事を積極的に手伝ってくれる主人ですが、今回の引越しはすべて彼がやってくれました。彼がいなかったら赴任できませんでしたね。本当に感謝しています。「世界銀行の職員であり、妻でもあり、母親でもある」という私みたいな人生のためには、幅広いサポートネットワークを持つことが絶対に必要。パートナーはもちろんですけど、家族やベビーシッター、友人やご近所さんなど、ありとあらゆる人に頼らなければ、とてもやってこられませんでした。一人じゃできないという認識はとても大切なことだと思います。
若い人へのメッセージですか?うーん、そうですね…。まず、すべての基礎になる英語は力を入れてやってくださいね。すばらしいアイデアがうかんだら、人にうまく伝えたいじゃないですか。それからできれば英語以外の語学も。フランス語は、西・中央アフリカ諸国の注目度が高まるにつれ、ニーズが上がってきていますよ。
私は大学院からまっすぐ国際機関という道をたどったけれど、民間企業などで経験を積むというのも大事なことだな、と思います。学生の頃から絶対に世界銀行に入る!というふうに思いつめるのではなく、若いうちに色々な経験をして、色々な世界を見て欲しい。きっとそれは自分の価値を高めてくれます。頭のどこかに世銀という選択肢を入れておいて、やりたいことに近づこうと努力していれば、きっと道は開けるんじゃないでしょうか。人生、楽しんでください。