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特集2010年3月2日

遠藤伊作 世界銀行 金融・民間セクター開発総局 リサーチ・アナリスト~第12回 世銀スタッフの横顔インタビュー

滑らかでしっかりとした語り口からは、人生に対する大いなる情熱が感じられる。新しい環境にあえて身を置くことで、自らを成長させてきた遠藤さん。海外に興味を持つようになったきっかけや、物事に対する探求心が生まれた学生時代の興味深いお話をご紹介しよう。

Isaku Endo

The World Bank

神奈川県横浜市出身。立教大学文学部英米文学科卒、在学中に韓国延世大学に交換留学。米国シラキュース大学マックスウェル行政大学院にて行政学修士号、国際関係学修士号、並びに紛争解決学コース(Certificate for Advanced Study in Conflict Resolution)修了。大学院修了後、ワシントンDCにて、シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS) と法律事務所Dewey Ballantine (現Dewey & LeBoeuf) でインターンとして、政治、経済、金融に関する調査・研究に従事。2004年より、世界銀行にて海外送金や金融サービスへのアクセス等のプロジェクトを始め、資金洗浄対策の政策提言や技術供与、ラテンアメリカ・カリブ海地域の国際機関およびクライアントとの調整を担当。また、ボランティアとして、若手政策プロフェッショナルのネットワークDC ヤングライオンズの共同幹事および政策海外ネットワーク運営委員を務める。

夢は学校の先生だった高校時代

小さい頃から、漠然とですが、海外に対する興味はあったと思います。おそらく、学校の先生である両親の影響が多々あると思います。ホームステイ先として、アメリカ人留学生を時々受け入れていましたし、高校1年生の夏休みにイギリスへの短期語学留学も経験させてもらいました。この頃に、特に語学に対する興味が生まれたことを覚えています。高校時代は、友人と遊ぶことに夢中であまり勉強はしませんでした(笑)。でも、将来は学校の先生になりたいと思っていました。

大学で情熱を注いだのは…「語学」

真面目に勉強し始めたのは、大学受験が終わり、大学に入ってからです。勉強というよりも、いろいろなことを知りたいと思い、毎日のように図書館に通いました。自然科学を始め、様々な分野の本を読むことが楽しかったです。ちょうどオウムの事件が起こった頃で、カルトや心理学についての本を、興味深く読んだことを覚えています。

おそらく、大学時代にいちばん情熱とお金と時間を費やしたものといったら、語学でしょうか。専攻の英語以外に、もう一ヶ国語使えるようになりたいと思ったんです。日系ブラジル人の知り合いがいたこともあり、第2外国語としてポルトガル語に近いスペイン語を勉強し、スペイン語のサークルにも入りました。その時は、話せるようにはなりませんでしたが、文法をしっかりと習得したこともあり、まだ勉強中ですが、現在携わっている南米のプロジェクトなどで役立っています。

また、そのスペイン語サークルで知り合った韓国人留学生を通して、韓国に興味を持ち、韓国語の授業も取りましたし、第2外国語でフランス語を選択していた親友と一緒に、ベルギー人のシスターにフランス語も習いました。

将来を考えるきっかけになった交換留学

大学1年生の夏休みに、その韓国人の友人の結婚式に招待され、仲間と韓国に行ったんです。そのときに、ある焼肉のお店で半生のお肉を食べたら、食中毒になってしまい、苦しくて寝込んでしまったんです。その友人のオモニ(お母さん)が「息子の友達は息子と同じ」と、親身になって看病してくれました。「韓国人は日本人には冷たいんじゃないか」という先入観があったこともあり、オモニの優しさに大変感動しました。しかし、オモニにはつたない韓国語で「カムサハムニダ」としか言えなかったので、ぜひ韓国語を勉強してオモニにしっかりとお礼を言えるようになりたいと思ったんです。また、隣国なのに歴史や社会事情をほとんど知らないことも痛感し、この経験をきっかけに大学3年生の時に韓国に1年間の交換留学をすることに決めました。

The World Bank
思えば、国際機関に興味を持ち始めたのは、この交換留学を通してでした。韓国で知り合った友人を始め、様々な国からの留学生と話しをする中で、「将来の道はたくさんある」こと、また、現地で学んだ国際関係学や、教授が韓国政府の経済政策のアドバイザーだったということもあり、国際機関や政策分野でのキャリアについても知るようになりました。しかし、この時にはまだ日本での就職も考えていましたし、国際機関が実際にどのようなことをする組織なのかよく理解していませんでした。日本に帰国後に、どの分野でどのような人材が求められているのかといった国際機関への就職に関する情報を自分なりに調べ始めました。

具体的に海外の大学院への留学を考え始めたのは、韓国留学から帰国した頃になります。教員免許を取得していたので、日本で2、3年働いてから留学するか、それとも大学卒業後すぐに留学するのか迷いました。知人や友人に相談して考えた結果、就職により留学のタイミングや意志に影響がでることを考え、大学卒業後すぐに進学することを選びました。

大学院留学から世銀入行までの道のり

The World Bank
大学院選びの基準として国際機関で活用できるようなスキルを身につけられるような環境であるかどうかに重点を置きました。最終的に、シラキュース大学院に入学したわけですが、在学中に学んだ思考法やクラスを通して得た体験が、現在の仕事で大変役立っていると感じることがあります。グループプロジェクトが課題となるクラスが比較的多かったのですが、いかにしてチームの中で自分の能力を最大限に発揮し、貢献するかということを考えて、チームの中での自分の役割を見極めることを学びました。現在、チームメンバーとしてだけではなく、チームリーダーとしてもプロジェクトに参加していますが、このような在学中の経験は、プロジェクト管理やチームワークという点からも大変有益でした。シラキュースは地理的にニューヨークやワシントンといった国際機関がある都市から離れていることもあり、実際に就職活動を始めたのは、大学院修了後にワシントンに引っ越してからでした。大学院時代の友人を始め、日本から駐在でワシントンにいらしている方々など、多くの知り合いに助けてもらいながら、ネットワーク作りに力を注ぎました。その結果、法律事務所やシンクタンクでインターンとして働く機会を得ることができました。また、インターンシップに加えて、ワシントンDC開発フォーラムのセミナーや、ヤングライオンズという大学院生向けの活動を通して、実際に世銀で働いている方にお話を伺う機会も生まれました。実際に世銀に入行することができたのも、このような人との繋がりが大きな要因だったと思います。

「チャレンジ」の大切さ

世銀では送金や資金洗浄対策を担当する部署に入ったのですが、自分にとっては初めての分野だったので、最初は上司の言っていることがわかりませんでした(笑)。数か月はひたすら資料を読み、勉強したことを覚えています。世銀に入ってから5年半がたちますが、もちろん今でも勉強の日々です。仕事の壁にぶつかることは多々ありますが、自分が常にチャレンジできる環境にあることに感謝しています。今の部署でも、部署が変わっても、いつも成長し続けていたいと思っています。また、自分が仕事を通して途上国の開発に貢献できるかということを常に問いかけ、心に留めています。

若い人たちには積極的にいろいろな世界を見て、学校のカリキュラムや受験勉強だけでなく、様々なことに挑戦して欲しいと思います。与えられたことや決められたことだけをするのではなく、あえて新しい環境に身を置くことで、今まで見えなかったものが見えるようになるからです。これまで何度となく、そういった場面を経験してきました。アルバイトや留学、旅行など、何でも良いと思います。これまで経験していなかった何かを自ら見つけて、是非チャレンジし、視野を広げて欲しいと思います。

 

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